2003年7月  JEITAニューヨーク駐在・・・荒田 良平

バブル崩壊後のシリコンアレーの現状


はじめに

  今月は、バブル崩壊後のシリコンアレーの現状について取り上げる。
  ここニューヨークのIT産業集積、通称「シリコンアレー」は、ITによる地域振興のモデルとして日本でも各種報道、書籍等で取り上げられるなど大きな注目を集めていたが、ネットバブルの崩壊と2001年9月のテロの直撃によって甚大な打撃を受け、今や「シリコンアレー」という言葉自体もあまり聞かれないようになってしまった。
  2年ほど前まではちらほらと見受けられた日本からの視察団もすっかり影をひそめてしまった今、敢えてシリコンアレーの「その後」に焦点をあてて現状をチェックしておこうということである。
  なお、本稿の執筆にあたっては、ニューヨーク・コアラの田中秀憲氏に聞き取り調査などをお願いしたほか、ニューヨーク大学行政研究所の青山公三氏からも貴重な情報を提供していただいた。

1. シリコンアレーの概要と成り立ち

(1) シリコンアレーの概要
  シリコンアレーの「その後」に触れる前に、まず参考までにシリコンアレーの概要とその成り立ちについて簡単に触れておきたい。

  シリコンアレーとは、主にニューヨーク市マンハッタンの41丁目以南(広さは東京で言うと渋谷〜新宿〜池袋一帯といったイメージ)を指すと言われる。1995年頃からニューメディア/インターネット関連企業の集積が急速に進み、シリコンバレーに対抗して「シリコンアレー」と呼ばれるようになったものである。
  バブル崩壊前のシリコンアレーの状況については、ニューヨーク・ニューメディア協会(NYNMA)がプライスウォーターハウス・クーパーズと共同で行った調査「3rd New York New Media Industry Survey」(2000年3月)に詳しく、1999年時点でニューメディア関連企業1,675社、その従業員56,757人を抱えていたとされている。
  また、同調査によると1999年時点でのニューヨーク大都市圏におけるニューメディア関連企業数は8,534社、従業員数はおよそ25万人にのぼっており、その内訳は「コンテンツ設計・開発」が41%、「電子商取引」が18%など図表1のようになっている。もともとメディア/マスコミ、出版、広告などの業界が集積しているニューヨークの土地柄ゆえ、圧倒的にコンテンツ系が多い中にあって、電子商取引関連企業も相当数存在するという特徴が読み取れる。

図表1 ニューヨーク大都市圏におけるニューメディア関連企業の内訳(1999年)

(出展: ニューヨーク・ニューメディア協会/プライスウォーターハウス・クーパーズ)

(2) シリコンアレーの成り立ち

  ニューヨーク経済は、1987年の株大暴落以後、金融不況に陥り、ウォール街周辺の空室率は1995年8月には平均で30%に迫っており、この床面積にして約180万平方メートル(180ha)に及ぶ空室の利用促進のため、新産業の創出が急務だった。
  そこで、当時発足したばかりのニューヨーク市のジュリアーニ政権は、1995年に「ロウアーマンハッタン経済再活性化計画」を策定、地区の新たな方向として「24時間稼働するハイテク・コミュニティへの転換」を提示し、IT産業振興のための基盤整備、税制等の支援体制、空きビルのスマートビル化などの施策を打ち出した。また、これに呼応して産業界や大学も様々な支援策や協力を行なった。

  この計画を本格的に実現するためのモデルが、1995年に一部オープンしたニューヨーク情報技術センター(NYITC)であった。ニューヨーク証券取引所の目と鼻の先にあるこのNYITCのビルは、中堅証券会社ドレクセルの倒産で1990年から空きビルになっており、これに目をつけたダウンタウン・ニューヨーク振興組合(ADNY)がビルの所有者に対し、この幽霊ビルをスマートビル化することを働きかけたもの。
  NYITCにテナントとして入居すると、固定資産税等の優遇を受けられるほか、ニューヨーク市や電力会社等による各種優遇措置を受けることができ、またNYITCには中古ビルながらもバックアップ用の電力設備、光ファイバー網や高速通信網、LAN、高速度インターネットアクセスのための設備、衛星通信システム等の最先端設備が整備されたため、資金力の乏しいスタートアップのニューメディア/インターネット関連企業が数多く入居することとなった。

  また、ニューメディア企業の業界団体ニューヨーク・ニューメデイア協会(NYNMA)が1994年に設立され、メンバーは4,800社を代表する8,400名を数えるに至った。NYNMAは、ベンチャー企業向けの資金獲得支援(投資家を集めベンチャー企業がアイデアと経営計画を示す機会を設定)、経営者・技術者教育プログラム(知的所有権、経営、連邦や州の規制・規則の変更、不動産、税制、企業運営法務、技術等)、様々な会員交流プログラム等を実施し、シリコンアレーの発展に重要な役割を果たした。

  その他、ニューヨーク市他の公的機関や大学、地元産業界が実施した各種支援策の詳細はここでは割愛させていただく。もちろん、シリコンアレーのすべてのスタートアップがこうした支援を受けたわけではないが、ニューメディア/インターネットによる地域振興への地域ぐるみの取組みが地域の盛り上がりを生み、結局はシリコンアレーにとどまらずニューヨーク大都市圏全体の発展につながったことは確かであろう。

2. シリコンアレーの近況

  さて、こうして一躍ニューメディア/インターネットのメッカとなったシリコンアレーは、当然のことながら2000年春(NASDAQの株価のピークは3月)に始まったネットバブル崩壊の直撃を受けたわけであり、それに追い討ちをかけたのが、2001年9月の世界貿易センタービルへのテロ事件だった。

  バブル崩壊後のシリコンアレーの企業数などの状況については、残念ながらニューヨーク・ニューメディア協会なども詳細な数字を発表していない。そこで、参考までに、まずWebmergers.comが公表している全米でのインターネット企業(ベンチャーキャピタル等から資金導入している企業のみ)の倒産・事業停止及びM&Aの件数を見てみよう。(図表2)
  図表2からわかるように、2000年春以降のネットバブル崩壊に伴うインターネット企業の淘汰は、2001年半ば頃までに急速に進展し、2002年半ば頃までにほぼ収束している。
  なお、Webmergers.comは、インターネット企業の総数はピーク時で7,000〜10,000社だったと見積もっており、結局その1/2〜2/3が生き残れなかったということになる。
  実は、シリコンアレーのベンチャー企業に投資された資金の多くは、ベンチャーキャピタルによるものではなく個人投資家によるものだったと言われており(例えば後述のニューヨーク・ソフトウェア産業協会の調査によると、回答企業のうちベンチャーキャピタルからの投資を受けている企業は数%から十数%といった割合である)、図表2がそのままシリコンアレーに当てはまるわけではない。しかし、大きなトレンドとしては参考にしても差し支えないと思われる。
  なお、ニューヨーク・ニューメディア協会によると、2001年の同時多発テロ事件後ではシリコンアレー地区のニューメディア関連企業の数は1,000社程度(ピーク時の2/3以下)にまで減っていると言われているようである。

図表2 インターネット企業の倒産・事業停止及びM&Aの件数

(出展: Webmergers.com)

  もう一つ、バブル崩壊後のシリコンアレーの状況を示す数字として、ニューヨーク・ソフトウェア産業協会(NYSIA)が行っている雇用状況調査についてご紹介しておきたい。
  NYSIAは、2001年夏以降ほぼ半年毎に、会員企業に対し雇用状況調査を行って公表している。この調査項目のうち、企業単位で人員を増員している場合を+1、減員している場合をー1、変わらない場合を0として、回答のあった全企業の平均値を算出した指数を図表3に示す。
  図表3によると、テロ事件の直前の2001年夏時点で0.24(増員する企業が10社あたり正味2.4社)であった指数が2002年初頭には0.14に落ち込んだが、その後やや改善してきており、雇用状況は2002年後半には持ち直してきているものと思われる。
  これは、上述のWebmergers.comのデータから読み取れる傾向とも一応平仄が取れているようだ。

図表3 シリコンアレーのソフトウェア業界の雇用状況

(注)指数: 企業単位で増員を+1、減員をー1、不変を0として全企業平均を算出したもの。

(出展: ニューヨーク・ソフトウェア産業協会)


  ただし、それではシリコンアレーの倒産企業の元従業員が再就職先を見つけることができているのかというと、必ずしもそうでもないようだ。
  彼らの多くは再就職までの間、無職として過ごすのではなく、持てる技術や知識を有効利用して、臨時請負のエンジニアとして働いたり、コンサルタントとして個別契約での業務をこなしたりしているケースが多いため、失業者としてはカウントされない。対面や経歴を重要視するニューヨークの土地柄であろうが、このように失職した段階でフリーランスと名乗り、名刺にもそう印刷することで対面を保とうとする、失職した元従業員が非常に多い。
  ニューヨーク・ニューメディア協会(NYNMA)が催しているネットワーキング・パーティーには、最盛期には500人が集まり、現在でも200〜300人が集まるというが、バブル崩壊後はフリーランスとしての参加が非常に多くなったということであり、その多くが実際には再就職先を懸命に捜していると思われる。
  もちろん、旧来の大手企業のネットビジネスへの参入により、ホットジョブス(hotjobs)等でもIT関連の求人は豊富であり、IT専門の求人サイトやNYNMAなどでも、真に優秀な人材は常に求められていることは言うまでもない。

  なお、2001年9月に起こった世界貿易センタービルへのテロ事件は、まさにシリコンアレー地区内で起こった出来事であったことから、ニューメディア/インターネット企業にも大きな影響を及ぼした。事件後は周辺地域一帯が封鎖されたために、通勤さえ不可能な企業が多く出たし、最終的に移転を余儀なくされたり、資金の投入が凍結され、またクライアントの経営難などのため新規案件が凍結されたといったケースも多かった。
  しかし、それでもテロ事件はシリコンアレーの不振の主な原因ではなく、あくまで倒産や従業員解雇のきっかけにしか過ぎなかったと言えるであろう。経営不振の企業は、その理由がテロ事件によるものではなく、そもそものビジネスモデルや経営方針に問題があることが多く、したがってテロ事件以前から経営危機であったところが多かったと言われる。テロ事件後、事件現場の近隣に位置していた各企業に対しては、市当局や国家レベルで各種の手厚いサポートが行われ、これらは好評を博したが、こうしたプログラムを有効利用して経営の再生を果たしたところは少なかったようである。

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