99年3月  JEIDA駐在員・・・長谷川英一

米国におけるハードウェア・ベンダーのソリューション・ビジネス戦略(後半) -2-


(2)ソリューション・ビジネスへの歩み

 DECはハードウェア・ベンダーとしての興亡を経験した典型的な企業の一つである。70年代から80年代にかけては、VMSやVAXと称する同社のミニコンピュータ・システムが全盛期となり、企業向けコンピューティングのノウハウを強みにハードウェアの販売が順調に伸びた。当時、VAXはミニコンの代名詞にもなり、ネットワーク環境を支援するDECの最新技術に魅了された顧客が急増した。90年までの20年間の売上増加率は毎年平均30%を記録した。

 しかし、90年代に入ってその全盛にも陰りが見え始めた。企業向けコンピュータの新たな選択肢として、ワークステーションやパソコンが出現したからである。にも関わらず、DECのCEO兼創設者でもあったケネス・オルソンは、市場の変化を無視し、ミニコンの販売を強化するという戦略に出た。販売台数を上げるためにコストを度外視した販売戦略をとったため、同社の収益は急激に悪化していった。ただ、収益率の低下とは裏腹に、割安で優れたサービスが多くの顧客を魅了し、確固たる信頼関係を築けたという点は皮肉な結末でもあった。このような経緯からVAXのユーザーを完全に囲い込んだ結果、他社のように膨大な広告費用をかける必要はなく、なんとかミニコンの販売で操業を維持できるという状態であった。

 しかし、その後もパソコン市場が急成長し、オープンシステムが業界標準となっていくにつれ、DECの経営は一層悪化し、92年までに34億ドルの累計赤字を計上した。次第に、顧客との信頼関係も崩壊し、年率30%という速さで顧客が他ベンダーに鞍替えするという状況に追い込まれた。92年から5年間にわたって6万人の従業員を解雇するという大幅なリストラも進めたが、DECの累計赤字は留まるところを知らず、90年代半ばには50億ドルにまで達した。

事態を重視したDECは、この頃から戦略変更の必要性を痛感するようになった。64ビットのマイクロプロセッサー技術を基盤にしたハイエンド商品や、ウィンドウズNT環境を視野に入れたシステム・インテグレーションは90年代に入ってDECが積極的に取り組んできたサービスの一つである。そのため、既にマイクロソフトと戦略的な関係を築いており、ハイエンド企業向けコンピューティングというニッチ市場で成功することが課題とされている。

DECは比較的早い時期からソリューション・ビジネスを開始していたという点が特徴であるが、過去15年間に以下の3つの段階を通過してきている。但し、同社のソリューション・ビジネス戦略の基礎は80年代後半までに確立されており、実際の基幹業務も93年までに完成している。従って、それ以降、現在に至る5年間は、ソリューション・ビジネス成熟期とでも呼ぶべきで、同分野における長期的な戦略を立てる充電期間であったと言える。


ステップ1:先制攻撃
 現在、DECはソリューション・ビジネスのベスト・ファイブ企業に名前こそ連ねていないが、豊富な経験に裏付けられた優れたソリューションサービスにはかなり定評がある。開始当時のサービス内容は、顧客がDECのシステムを導入する際のサポートサービスであった。DECの技術部門は中央エンジニアリング局の直下に位置し、技術導入に関する質問や問題に対応した。同時に、顧客への要望にすばやく答えるために、FSO(Field Service Organization)というコンサルタント・チームを構成し、問題が発生した際に、オンサイト・インプリメンテーションを行う体制が整えられた。FSOの設置により、中央エンジニアリング局と同じサービスがオンサイトで受けられるようになり、顧客からの評判は上々であった。

 DECは85年の時点で既に、最良のソリューション・ビジネスを目指した努力を開始している。その一例としてメタフレーム・グループ(MetaFrame Group)の設置が上げられる。これは、比較的小規模で、中央エンジニアリング局から半分独立した形をとる専門組織のことである。メタフレーム・グループの力量が最初に試されたのは、DECがヨーロッパの通信会社、ITTと提携を結んだ時であった。2社が共同でシステム導入を進行させるため、標準的なハードウェア機器の導入だけに留まらず、両社のソフトウェアを同調させたり、新たなシステムデザインが必要になったりと、サービス内容は非常に複雑なものであった。そのため、この契約は両社のエンジニアが直接コミュニケーションをとることなしに目標を達成することは不可能であった。ハードウェア・ベンダーが行う業務は、通常一つの組織によって監督されている場合がほとんどである。そういった意味で、DECとITTの共同作業は珍しいケースであった。

 また、2社の共同作業は、必然的にDECの中央エンジニアリング局の権限を弱めたと同時に、メタフレーム・グループがフレキシブルに活動できるよう独立性を高めることにつながった。ただ、顧客の中にはDECの企業秘密とする技術や、中央エンジニアリング局の指導を無視したサービスを要求してくる者もおり、そのような場合にどのように対処するのかという新たな課題も持ち上がった。このようにメタフレーム・グループの活動は必ずしも大成功とは言えない状況であったものの、同グループの経験からソリューション・ビジネスの成功に不可欠な2つの教訓を学んだ。

  1. システム・インテグレーションの際には顧客第一主義が大前提となる。現在では、多くのシステム・インテグレーターに共通の基本理念となっているが、DECは80年代に既にその真理を見極めていた。
  2. 上記の顧客第一主義を貫くためにも、社内の中央エンジニアリング局で全てのソリューション関連業務を処理するのは不可能である。DECの社内に拠点を設けるだけでは不十分で、オンサイトでシステム・インプリメンテーションやメンテナンスを提供することこそ顧客を満足させるサービスであるという考えが定着していった。


ステップ2:ソリューション・ビジネス基幹業務の確立
 DECは、FSOやメタフレーム・グループの経験を通して、次第に企業システム向けのコンサルティング業務に傾倒していった。しかし、同社が本格的にソリューション・ビジネス戦略を打ち出したのは、当時のCEOケネス・オルソンが引退を決意してからのことであった。同氏の退陣により、DECは第二世代に突入したと言われており、この頃確立されたソリューション・ビジネスの基幹業務は現在でも健在である。

 92年に新CEOに招かれたロバート・パルマーは、就任後すぐに同社の組織変革に着手した。当時、DECは11万4,000人の従業員を抱え、巨大企業のヒエラルキーが足かせとなっていた。パルマーは顧客の多様なニーズに対し、フレキシブルなサービスを提供するためには、組織を抜本的に変革する必要があると考え、11万4,000人の従業員のうち、VMSシステム部門のスタッフを中心に5万9,000人の大量解雇を実施するという大規模なリストラに踏み切った。かつて、同社の強みであったVMSを潔く捨て、時代の流れに合わせたオープンシステムを推奨する戦略がとられ、設立以来初めての大幅な方向修正に注目が集まった。オープンシステムの推奨と組織変革の一貫として、93年にマルチベンダー・カスタマー・サービス・グループ(MCS)が設置された。これは、顧客のハードウェアがDECの製品でなくともインテグレーションを行うという新たなサービス部門である。また、それまでのFSOの業務もMCSに吸収された。その他には、パソコン商品、ストレージ技術、ハイエンド・コンピューティング部門が設けられたほか、業界毎に特化された5部門(電気通信、流通、製造、金融、政府サービス)が新設された。組織変革後、MCSはすぐにサービスを開始し、93年11月には、早くもDECの総売上の約35%に相当する50億ドルを稼ぐ優良部門へと成長していった。


ステップ3:新たな戦略の模索
 94年半ば頃には、同社のソリューション・ビジネスは安定期に入った。主要なソリューション・ビジネスは以下の3つに分類される。

  1. マルチベンダー・インテグレーション
  2. アウトソーシング
  3. 戦略的コンサルティング
 このうち、2、3はデジタル・コンサルティング部門が提供した。90年代半ばに入ってからも、ソリューション・ビジネスを提供しているハードウェア・ベンダーはそう多くなく、仮に提供していてもソリューション・ビジネス部門は営業部に付随した一部署という位置付けである場合が多かった。それとは対照的に、DECは独立した部門をいち早く設けており、ソリューション・ビジネスを事業戦略の中枢に据えていたことが窺える。

 このように一見、ソリューション・ビジネス成功を保証するかに思われたDECの組織体制にも、思わぬ落とし穴があった。専門家は、MCSやデジタル・コンサルティング部門の事業戦略が明確なゴールを持っていないことから、同社のソリューション・ビジネスの将来性を疑った。確かに、MCSやデジタル・コンサルティング部門はサービス対象をあまりにも広く設定していたことから、他の得意分野を持つベンダーに比べて、どの分野にも強みのないゼネラリストになってしまっていたのは事実である。焦点の甘さはMCS、デジタル・コンサルティング部門だけの問題ではなく、企業全体の効率を低下させる原因ともなっていた。DECの社内組織はある部門は商品別に、また別の部分は業界毎、サービス内容毎に分割されるなど、社内共通のプラットフォームに欠けていた。その結果、ハードウェア・ビジネスにも悪影響が広がり、毎年30―40%もの顧客がヒューレッド・パッカードなどのライバル企業へ移るという事態に陥ってしまった。

 そこで、90年代後半に入ってからの第三世代に模索され出した道は、ネットワーク・インフラストラクチャへの注力である。64ビット技術とウィンドウズNT環境をキーワードに、新しい得意分野を築く道が模索され出した。そのために実行されたのが、各社との戦略的提携である。DECはソフトウェアやネットワーク・ハードウェアを開発するにあたり、常に業界最高の技術を利用することを目標に、多くの企業と提携関係を築くという戦略に出た。94年半ばから97年までに、シスコ、ニューブリッジ、ノベル、コンピュータ・アソシエイツやオラクルなど業界トップ企業10社との提携に合意した。

 第三世代の戦略の中で最大の注目を集めたものは、マイクロソフトとの長期にわたる協力体制である。それまでDECのシステムのほとんどがUNIXを基盤としていたが、93年よりMCS部門がウィンドウズNTに興味を示し、企業向けシステムのインテグレーション・サービスに向けて準備を進めるようになった。95年後半に、DECとマイクロソフトは「Alliance for Enterprise Computing」に合意し、ウィンドウズNTとDECが開発する64ビット・アルファ・チップを融合し、ネットワーク市場に投入するという計画が業界関係者を驚かせた。DECはこれによりネットワーク・インフラストラクチャ・サービスを強化し、一方、マイクロソフトはDECが得意とするハイエンド・システム市場に参入するというのが狙いであった。さらに、この戦略的な提携関係の一貫として、1,500人のDEC従業員をMCSEに育成するという研修計画も発表された。既に、DEC社内に800人のMCSEがいたことから、研修完了後には同社のMCSEは2,300人に及んだ。これは、マイクロソフト自身が抱えるMCSEを上回る数である。この提携を契機に、DECは95年の時点でウィンドウズNTを対象にしたソリューション・ビジネスのトップ・プロバイダーとしての地位を確立しており、97年末には社内のMCSEは2,500人に達した。

 96年と97年にかけて、マイクロソフトとの関係を最大限に活用するために、64ビット技術とウィンドウズNTの融合が一層強調されるようになった。そのため、ターゲットは、フォーチュン1000に代表されるような大企業に絞り込まれた。ハイエンド・ネットワーク市場への進出が目標にされ、業界毎に分けられた組織体制は、商品別に分けられた組織に統一された。同時に、法人顧客数は8,000から一気に1,000まで激減させ、大企業重視の方針がとられた。

 この動きの一貫としてソリューション・ビジネスを担当する部門も再編成された。97年に、WSO(Worldwide Services Organization)が設置され、それまで独立していたMCS、ネットワーク・インテグレーション・グループ、アウトソーシング・グループがWSOに吸収される形になった。当時、WSOに所属するスタッフは2万3,000人を超え、総売上は58億ドルを記録した。一時は繁栄を極めたMCSは1万4,000人の従業員を抱えていたにも関わらず、年間成長率は1%未満という低成長を記録していたため、DECはMCS以外に収益の源泉を求めなければならなかった。アウトソーシング・グループには3,000人の従業員がおり、97年の成長率は11%と健闘した。最も勢いがあったのはネットワーキング・インテグレーション・グループで、従業員6,000人に支えられ、成長率は27%を記録している。

このような一連の動きの中で、高収益のネットワーク・インテグレーション、アウトソーシング業務などが強化され、ハードウェアやソフトウェアのサポートという従来のソリューションサービスは軽視されるようになった。例えば、長期にわたって収益率が改善されなかったMCSの管理はライバルのEDSに任されることになった。正式には97年6月に5億ドルで8年契約が結ばれ、EDSはビジネスプロセスの変革を通してDECのカスタマーサービスを改善させることを約束した。ガートナー・グループは、DEC思い切った決断は両社にとって有益であったと評価している。


(ソリューション・ビジネスと今後の展望)
 98年夏、コンパックは現金と債権を合わせて96億ドルという金額を提示し、DECを買収した。ハイエンド・コンピューティング市場への参入をかねてから狙っていたコンパックにとって、DECは格好の買収候補だったわけだが、この買収がコンパックの狙い通り、ハイエンド市場への参入を後押しするかどうかは定かでない。と言うのも、DECの提供するソリューションサービスがコンパックを支援することはあり得ても、それが同時にコンパックのハイエンド市場参入を意味するわけではないからである。

 PCメーカーであるコンパックは、ハードウェア販売後のテクニカル・サービスを再販業者などに一任していたため、ハードウェアやソフトウェアのメンテナンス技術に弱点があった。これをカバーするために、コンパックは95年にDECと契約し、メンテナンス、ヘルプデスク、システム・インテグレーションなどの代行を依頼している。その後、97年にタンデム(Tandem Corporation)を買収して以来、微力ながらにソリューション・ビジネスを展開してきたものの、それほどの成果は見られなかった。従って、今回の買収によりDECのソリューション・サービスが拡大する点は、コンパックにとって大きなメリットである。

 いずれにせよ、新企業の利益のうち一部はソリューション・ビジネスの強化にあてられることが確定していることから、DECのソリューション・ビジネスが強化されることは間違いないと言われている。コンパックは優れたソリューション・ビジネスを売りに収入増加を狙っており、現在、約70億ドル程度であるサービス部門の売上を、2002年までにその2倍以上の150億ドルまで増やすという目標を掲げている。

 現在、コンパック/DECはデスクトップ・サービス、データウェアハウジング、エレクトロニック・コマース、エンタープライズ・アプリケーション、ネットワーク管理、インターネット・ソリューションなどを主とした10分野におけるソリューションサービスを提供している。顧客は政府機関や民間企業など多くの業界に広がっている。近年、小規模の顧客が増えつつあるという声も聞かれるが、やはり全体では中規模以上の企業に焦点が当てられている。特に、フォーチュン1000企業の顧客が多いのは、DECの昔からの伝統が残っているからと言えるだろう。

表5:最近の代表的契約
発注元 金額 詳細
シティバンク 1996 5億ドル デスクトップ、ネットワーク管理
パーキン・エルマー
(Perkin-Elmer)
1997 1億6,500万ドル SAP R/3ロールアウト・オペレーション
オプタス・コミュニケーションズ
(Optus Communications)
1998 1億5,000万ドル ネットワーク管理
アシア・ブラウン・ボベリ
(Asea Brown Boveri)
1998 5,000万ドル クライアント・サーバー
©Washington|CORE


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