99年2月 JEIDA駐在員・・・長谷川英一
米国におけるハードウェア・ベンダーのソリューション・ビジネス戦略(前半) -4- |
2.ソリューション・ビジネス市場における主要ベンダー
(1)IBM ――― 転換期を迎えたコンピューティング・サービスのパイオニア
設立:1929年
IBMは言うまでもなく、コンピュータ・サービス業界の中でも、その伝統と大きさにおいて群を抜く存在である。同社は、コンピュータ・ハードウェアの製造で世界最大手、システム及びアプリケーション・ソフトウェアの製造でも、マイクロソフトに次いで第2位の座を占めている。また、年間総売上高750万ドル以上、従業員数26万人以上(80年代中頃の約35万人から大幅削減)という規模は、米国の民間企業中第6位に当たるる。 IBMに関して特筆に値するのは、同社が社内機構の全面的な刷新を果たしたという点である。7年前に28億ドルの赤字を計上した同社は、全社的な改革を推進した結果、EDS、アンダーセン・コンサルティング、CSCに代表されるシステム・インテグレーションやアウトソーシングの大手を押さえてソリューション・ビジネス分野でトップに立ったのである。 図4:IBMの部門別売上構成 (1997) 図4の中で、ハードウェア部門は、高級機、中級機、RISCワークステーション、PCを含む。同様に、ソフトウェア部門は、ワークフロー、ネットワークシステム、アプリケーションソフトなどで、サービス部門は、コンサルティング、システム開発、トレーニング(保守サービスは別項扱い)を含んでいる。これらのうち、コンサルティング、エレクトロニック・コマース、ネットワークサポート、アウトソーシング、インテグレーションなどの「ソリューション・ビジネス」は、併せてIBM総売上高のおよそ3分の1を占めており、同社の収益の大きな柱となっている。 近年IBMは、ネットワーキング技術の発達に合わせた統合的なビジネス・ソリューションの提供に力を入れており、長い実績のあるシステム開発や顧客サービスの経験を生かしながら、この分野におけるリーディング・カンパニーの地位を確立しようとしている。「IBMグローバル・サービシズ」の名称を冠したソリューション部門は、世界中に118,000人の従業員を抱えており、ITサービス事業者としても世界最大級の規模を誇る。IDCから、96年と97年のシステム・インテグレータ首位にランクされたIBMグローバル・サービシズは、それまでトップの座にあったEDSを凌ぐ規模となった。現在IBMは、ネットワーキングとECを融合化した「eビジネス」の発展をにらみ、それらの核となるソフトウェア・ソリューションの開発に特に力を入れている。 (ソリューション・ビジネスへの歩み) IBMは、製造・サービス業向け事務機器分野で1950年代初頭に圧倒的首位の座を確立し、その名声を80年代まで維持していた。コンピュータ1台あたりのコストやサイズが大きく、保有者の数が限られていた時代に、市場を事実上独占していた同社は、その歴史を通じて、たびたび米国政府から独占禁止法に基づく規制を受けた。 IBMの伝統的得意分野であるメインフレーム・コンピュータのビジネスは、独禁法規制を受けながら持ちこたえていた。しかし80年代に入り、メインフレームより小型のワークステーションやPCが台頭するようになると、IBMの優位はゆらぎ始めた。IBMは、PC関連技術のパイオニアの一つであったにもかかわらず、安価なハードウェアや小回りのきくアプリケーションが持つ潜在力を軽視し、メインフレーム分野への重点的投資をやめようとはしなかった。その結果、IBMの収益は一挙に悪化し、91年には28億ドルにも上る初めての赤字を計上した。シェア争いの激化とそれに伴う売上とマージンの低下、さらには世界的な不景気が、ハードウェア製造に大きく依存(売上全体の62%)していた同社に重くのしかかったのである。赤字は93年までの3年間で総額150億ドルにも上っている。 しかし、ハードウェア・ビジネスが泥沼状態にあったにも拘らず、同社のサービス収入は91年に前年比35%の増加を記録していた。このことに気付いた経営陣は、業容の大幅な刷新を開始する。「ソリューション・ビジネスは収益に大きく貢献する」という事実を認識した同社は、長年メインフレーム製造に偏っていた社内のメンタリティを一新することに力を入れ始めた。 ステップ1:思考枠の拡大 体質改善のための第一歩は、従来の伝統を破って多数の企業とのパートナーシップを形成することであった。それまでIBMは、設計を全てインハウスで行うという方針を守っていたが、広く外部の企業と連携することで、製品ラインの幅を広げることを目指したのである。91年には、特に二つの大型提携が話題を集めた。アップル・コンピュータとのソフト開発提携、およびシーメンスとの16MBチップ設計に関する共同研究である。これらのパートナーシップは、IBMが思考の殻を破って新しいアイディアを取り入れる上で効果的な手段となるはずであった。しかし、これらのほとんどは期待通りの成果を上げることなく終わっており、IBMの体質改善が容易ではなかったことを示唆している。 ステップ2:リバウンド戦略 ソリューション・ビジネスへの重点投資を通じてIBMの業績を回復させるためには、まず社内体制を抜本的に改革することが不可欠であった。従来の社内組織は、中央集権的なピラミッド構造になっており、技術の急速な発達に合わせて業務の現場で素早い意思決定を行うことを妨げていた。85年にCEOに就任したジョン・エイカーズは、社内の意思決定プロセスを効率化するための改革に乗り出し、約10万人の従業員を削減するとともに、組織を13の独立採算部門に再編した。従来、同社は黒字部門の収益で赤字部門をサポートする体制がとられており、人材などのリソースも部門間で頻繁に移動していた。エイカーズは、このような相互扶助の体制を打ち切り、各事業部門に経営上の裁量を委ねる一方で自力による利益確保を命じたのである。また、各部門の責任者には、部門全体の損益に応じた報酬体系が定められた。 ステップ3:社外からのリーダーシップ導入 93年、IBMはルイス・ガースナーを新しいCEOに迎え入れた。それまで一貫してIBM生え抜きの人材が務めていた経営トップの座に、初めて社外の人材を選任したのである。アメリカン・エクスプレス社、RJRナビスコ社の経営を経てIBM入りしたガースナーは、技術よりも顧客満足を重視する新生IBMにうってつけの人材であった。CEO就任後のガースナーは、「Work harder, think smarter」を合言葉に社内体制のさらなる効率化に向けた改革に着手した。まず、さらに47,000人の削減を断行し、従業員数をピーク時のおよそ半分である20万人に圧縮した。また、学究的ではあるが非競争的な雰囲気を保っていたR&D部門の予算を約10億ドルもカットし、収益に結びつかない基礎研究に従事するスタッフを大幅に整理した。さらに、エイカーズ前会長が敷いていた部門間の独立性を撤廃し、全ての事業部門を新しいリーダーシップの下で統一的にコントロールする体制を敷き直した。
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